2003年2月24日、茨城県護国神社に行きました。今日は朝から雨が降っていましたが、家の上空をF−15が飛んでいました。水戸に向かって走ってると雨が雪に変わりました。雪が後から後から降ってきて、うっすらと積もっていて寒かったです。
水戸市の偕楽園の下にJR常磐線が通っていますが、その反対側の台地に茨城縣護國神社があります。場所は水戸市見川というところで、境内には水戸市の桜の名所として知られる桜山があります。秋には菊祭も開催されます。
祭神は、護國の英霊63,200余柱で、例祭日4月10日と、11月10日です。
明治11年(1878)、明治維新前後に殉難した水戸藩士、並びに維新の際に義を以て茨城県内で亡くなられた方々をお祀りする「鎮霊社」を、常磐神社の境内に建立したのが茨城縣護國神社始まりです。その後、茨城県に関係する殉国者や公共の為に殉職された方々の神霊を合祀し、昭和16年(1941)11月、「茨城縣護國神社」と改称して桜山の現在地に遷宮したそうです。
境内には、顕勲の塔、戦没者留魂の処、大東亜戦争記念碑、ペリリュー島守備部隊鎮魂碑があります。
まず本殿を参拝しました。天皇皇后両陛下も来たらしく記念碑が建ってました。その後参道脇に建つ石碑を見てまわりました。参道脇に並んで、丁丑殉節碑、北征記功碑、征清記念碑、平和の願い碑などの西南戦争、日清戦争、日露戦争、大東亜戦争の記念碑や鎮魂碑が建っています。碑文には部隊の歴史や活躍の様子が彫られていて勉強になります。
石碑群のあるところから裏側に降りた、一段低いところにペリリュー島守備部隊鎮魂碑があります。このペリリュー島守備部隊鎮魂碑は、茨城県護国神社のメインの鎮魂碑なのか案内標識が立てられていました。
大東亜戦争時、ペリリュー島を守備していた日本軍は、水戸の第十四師団隷下の歩兵第二連隊を主力とした地区隊でした。
ペリリュー守備部隊鎮魂碑の碑文によると、明治7年の建軍以来、幾多の国難に出陣し、数々の武勲に輝く水戸歩兵第二連隊は、大東亜戦争中の昭和19年3月、北部満州の守りから、中部太平洋の要衝ペリリュー島に転用され、連隊長中川州男大佐は、1万2000名の陸海軍諸部隊を併せ指揮して同島に布陣し、敵の侵攻に備えて堅固な陣地を構築すると共に、全島民をパラオ本島に避難させました。
9月15日、4万有余名の米軍機動部隊がペリリュー島に来襲し、想像を絶する砲爆撃の掩護下海面を圧する敵上陸舟艇群を迎撃して大打撃を与えました。その後上陸した敵増援部隊と、73日間洞窟陣地による死闘を繰り返しました。ペリリュー島守備隊は完全に補給も途絶え、食糧もない中、持久の任務を遂行しましたが、11月24日遂に戦力尽き、中川部隊長は軍旗を奉焼し訣別電報「サクラ、サクラ」を打電して自決しました。そして第十四師団から派遣されていた村井権治郎少将、飯田義栄中佐も自決しました。根本甲子郎大尉以下最後の決死隊が組織された時、残る兵員は傷だらけの55名でした。残った兵員たちは遊激戦に転じ悉く悠久の大義に殉じたそうです。軍旗も機密書類も焼却したことを意味する最後の電文「サクラ・サクラ」が、パラオ本部に届いたのは、24日の16時だったそうです。
ペリリュー島守備部隊の武勲は御嘉賞11回に及び、陸海軍最高指揮官の感状により全軍に布告され、世界戦史に比類無き精強部隊の名を残しました。
その偉勲を景仰し、英霊の御加護による祖国の平和と繁栄を祈念して、五十年祭を期し、有志相図り、ペリリュー守備部隊鎮魂碑を建立したそうです。
「異国の丘」で知られる日本を代表する作曲家の一人の吉田正氏は茨城県日立市出身で、水戸歩兵第2連隊所属でした。水戸歩兵第2連隊はペリリュー島で玉砕しましたが、第2連隊が満州からペリリュー島に移動する時に、吉田氏は残留組となったので、玉砕部隊には入りませんでした。戦後シベリアに抑留されましたが、日本に無事帰還し、その後数々の名曲を世に出しました。
石段を降りて鳥居前道路の反対側には小高い丘があります。ここは水戸徳川家が建てた丸山淵明堂跡だそうです。あゝ戦友の碑と歩兵第二百十三聯隊鎮魂碑が建っていました。あゝ戦友の碑にはニューギニア戦線で戦死した戦友の鎮魂碑なのか、ニューギニアの地図がありました。
ひととおり見たので長く外に寒くていられないので、勝田のスーパー銭湯に行きました。露天風呂に入りながら雪を見てました。
ペリリュー島守備部隊と位置 | ![]() 岩上大隊鎮魂碑 |
本殿 | ![]() 天皇皇后両陛下御親拝記念碑 |
護国神社由来碑 | ![]() 一遊亭跡碑 |
ねがい桜 | ![]() 大東亜戦争茨城県関係戦没者と戦域図 |
大東亜戦争記念碑 | ![]() 鳥居 |
征清記念碑案内板 | ![]() 北征記功碑案内板 |
丁丑殉節碑案内板 | ![]() 丁丑殉節碑 |

平和の願い碑

護国神社の鳥居前道路の反対側に小高い丘があります。ここには水戸藩が建てた丸山淵明堂がありました。
ここにも石碑が建っています。
歩兵第二百十三聯隊鎮魂碑 | ![]() あゝ戦友の碑 |