2002年12月24日、雨が昼までにやんだので八街と横芝の飛行場跡に行きました。
まず最初に八街飛行場跡に行きました。
八街飛行場は昭和16年4月に造られ、陸軍の百式司令部偵察機が配備されていました。百式司偵は当時の最高性能偵察機で、その高速性能を活かして単機で広域の戦略偵察を行いました。また大平洋戦争末期には、B−29迎撃、対地攻撃のほか特攻隊による艦船攻撃も行われたそうです。
昭和60年5月、旧軍関係者や地元八街町有志により陸軍司令部偵察隊の碑が建立されました。
富里から国道409号線を走り、八街に行きました。朝日地区の植木センターの脇にあることだけ情報を得ていたので地図を見ながら行きました。十字路を左折すると、大清水のY字路になります。そこから左側の県道43号線を走って行くと左側に植木センターの看板がありました。看板の脇の細い道を入って行き、T字路を左折すると左側の雑木林の一角に陸軍司令部偵察航空隊跡の碑がありました。
さっそく写真を撮りました。石碑の周りは低い生け垣で囲まれ入れないようになってました。でも、外からでも十分に写真は撮れます。
すぐそばの変電施設脇で工事関係者が黒板を置いて写真を撮ってましたが、石碑の写真は撮りませんでした。(仕事で写真撮ってるのだから当たり前か)
石碑の脇の雑木林は某家電メーカーの名前が書かれた立ち入り禁止の看板が立ってました。なんでこんなところに某家電メーカーの名前があるのだろうか、工場でも建てる予定なのかな?
雑木林の中を道路から覗きましたが何もありませんでした。周辺は住宅地になっていて、当時のものは何も残ってなさそうでした。
陸軍司令部偵察航空隊の碑裏側
八街飛行場跡の石碑を見たので次は横芝飛行場跡に行くことにしました。
県道22号線を走り長い坂道を下ると松尾町の国道126号線に出ました。八街は台地上にありますが、このへんは広い平地が続いている九十九里平野です。干潟(香取)、横芝、茂原は九十九里平野にある飛行場です。
松尾から国道126号線を走り横芝町に行きました。総武本線の横芝駅前から蓮沼海浜公園に行く道路を走って行くと、左側に栗山平和公園の看板が見えてきました。そこを左折すると栗山平和公園がありました。車が数台とめられる駐車場が道路脇にありました。車を停め公園に入ると広い芝生の中を1本の道が通っていて一番奥にドーム型屋根の休憩所「語りベの館」がありました。その脇の壁面には、軍用機から平和のシンボル鳩へ変化していくモニュメントがありました。そして、その右端のさつきの植え込みの中に「横芝飛行場跡の碑」がありました。
地図で見ると、ここの周辺道路はまっすぐな道が多いので昔飛行場だったことは分かりますが、公園のまわりは住宅地で八街と同じように何もなさそうでした。
横芝飛行場は昭和13年に造られ約170ヘクタールの広さがありました。はじめは水戸陸軍飛行学校横芝分校でしたが、仙台飛行学校横芝教育隊となり、練習機など80機以上の航空機が置かれ学生の教育にあたっていました。
大平洋戦争末期には、この飛行場も米軍機の標的となり連日のように爆撃を受けるなど激しい攻撃にさらされたそうです。
平成6年3月、飛行場跡地に栗山平和公園が整備され飛行場跡の石碑が建てられました。
上空を成田空港へ向かう民間機が飛んでましたが曇り空で雲が低く見えませんでした。薄暗くなってきたので、周辺を見てまわるのはやめて帰ることにしました。
松尾町から芝山はにわ道を通ってたら、日航機が車輪を出して成田空港へアプローチして行くのが見えました。あの鶴丸も日石マークになってしまうのか。でも日の丸にしたら、政府専用機になってしまうのでまずいから半分にしたのかな?(そんなはずないだろう)
三里塚を通ってたら三里塚記念公園という公園があり奥に建物がありました。いったいなんなのだろう?
たぶん航空科学博物館みたいに成田空港や飛行機についての展示じゃなくて、成田空港ができる前はこんなふうだったとか、農民の生活とか交通とかが展示されてるのかな?
でも、あの建物は博物館でもなんでもなく集会所かなんかかも知れない。
また来た時は寄ってみようかな。
それから東金にも昔飛行場があったようです。
今度、こっち方面来た時は行ってみようと思います。
語りベの館 | 横芝飛行場跡の碑 |